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数日、喪に服したいと思います。
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大バッハの大フーガ。この曲には高校時代にずいぶん魅了されました。
ソフィア・ゾリステンが静岡に来て、この曲の弦楽合奏版を演奏しまして、それを生で聴いたのがきっかけでした。
それで自分たちの弦楽合奏部でも演奏したくなり、私が編曲しましたっけ。フーガだけですけどね。
そのソフィア・ゾリステンのレコードが、ちょっと見当たらなくなっているのでネットで探したのですが、やはりなく、その代わりにこの演奏の動画を見つけました。これが良い!のです。
このスロヴェニアの楽団、いい音していますね。モダン楽器ですが、古楽器の演奏法も勉強しているようです。
少し難解なファンタジアと分かりやすいフーガの対比がいいですね。実験性とポップ性を兼ね備えたとてもモダンな曲だと思います。
バッハのこの曲の演奏を聴いた、大先輩ラインケンは大変感動したと伝えられています。なにしろこのフーガのポップなテーマはオランダの民謡が元になっているそうですから、それは嬉しかったでしょう。
この名曲に魅了されたのはラインケンや私だけではありません(同列に並べるなってw)。ストコフスキーの管弦楽版も有名ですし、リストのピアノ版もいいですよね。
そして、この大規模な作品をヴァイオリン1本で弾いてしまった人もいます。これはすごい。大バッハもさすがにビックリでしょう。
今日、シルク絃ヴィオラで演奏したのがこちらの曲。
おそらく最古のチェロ・ソロのための楽曲の一つでしょう。
まだ、チェロという楽器の演奏様式が確定していなかった時代なのでしょう、調弦は全体に今より長2度低い。さらにこの演奏のように、おそらくは弓の持ち方はガンバ風だったことでしょう。
楽譜は実音で書いてあるので、スコルダトゥーラ(変則調弦)にすると、今の演奏家は混乱することでしょう。ちなみに私はいい加減なので、こういう楽譜を読むのは得意です(笑)。
というわけで、私は今日もいい加減に、調弦を下げて、この楽譜をト音記号のト長調だと思って、ヴァイオリンの「タブ譜」読みで演奏しました。結果として、記譜の1オクターブ上の音が出ていたということですね。自分でもよくわかりませんが(笑)。いちおう曲になっていたので良し!
この曲を元に、現代の作曲家たちが「神秘な変奏曲」を作曲しました。
チェロが生まれて350年。楽器も音楽も大きく変化しました。それが進化かどうかはいろいろな視点からのいろいろな意見があることでしょう。
しかし、こうして人類が聴く音楽が多様化しているということは、とても面白いことであり、また、近代的な形式から逃れて自然のカオスに還っていくようだと思うとまた興味深いものです。
神社チャンネルの羽賀ヒカルさん、最近気合い入っていますね。これは「怒り」でしょう。
もしかして、オニさんの耀わんでお水飲んだから?(こちら参照)
いやいや(笑)じゃなくて、本当かもしれませんね。ここのところ耀わんのお水を飲んだ方々の変容ぶりがすごくて、ちょっと怖いくらいです。あの人もあの人も。
まさに「闇を暴く」人たちが増えています。そして、「闇」から足を洗う人たちも。
世の中、現世というのは実はわかりやすくて(つまり全然陰謀ではなくて)、批判されたり攻撃されたりする人こそ、正しいことをやっているのです。
そしてホンモノはその攻撃すら「言向け和し」てしまう。これからの時代は必ずそういう方向に進んでいきます。相手の敵意を愛に変換してしまうのです。
もともと敵意、悪意というのは「自己愛」に基づくものです。おわかりになりますか。戦争でもそうです。つまり元は「愛」のエネルギーなのです。
それをこちらも「自己愛」で敵視してしまうと、これはもう衝突と破壊しかありません。お互いに刺し違えてしまうだけ。
イエスの語った「汝の敵を愛せよ」や「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出せ」というのは、単なる「赦し」の推奨ではありません。
相手の利己的な敵愾心を、愛の力で言向け和せということなのです。
右の頬を打たれたということは、右利きの人に裏拳で殴られたということです。これは、殴る方は表拳(?)で殴ることは汚らわしいので裏拳で殴ったということ。これは奴隷に対する態度です。
その打たれた奴隷が左の頬を差し出すということは、表拳で殴れということです。そこで思わず表拳で殴ってしまったら、両者の関係は対等になってしまいます。
つまり、相手の攻撃性を利用して、その奥に潜む全てが平等な「愛」の世界に気づかせなさいという教えなのです。
さて、話を戻しますが、最近の羽賀ヒカルさんの「怒り」に似た激しさは、まさに利他的な「怒り」であり、利己に対する「怒り」です。
すなわち全ての「怒り」は「愛」に基づいているということ。その「怒り」の本質に気づくことこそ、衝突のない和合した世界への第一歩です。
お釈迦様は「怒り」を最悪の煩悩として諌めていますが、ある意味それは間違いです。10年前、私はこんな記事を書きました。
怒りが革新、進化のエネルギー、すなわち生命エネルギーの根幹にあるのも事実でしょう。しかし、利己的な怒りの連鎖はいけません。また、利他的な怒りが利己的な怒りを言向け和すこともあるでしょう。
そう考えていくと、孔子が弟子の顔回に対して言った言葉は深い。
「怒りを遷(うつ)さず、過ちを貳(ふたた)びせず」
なるほど。
昨日、昭和の軽自動車と令和の軽自動車の話をしましたが、今日ちょうどこんな記事が。
山下達郎が歴代愛車を明かす 「歳とったらポルシェ」の予定が、現在の意外なマイカーは…
昭和のミュージシャンは車好きの方が多い。ミュージシャンに限らずですね。いろいろな分野での成功者の象徴が車、特に外車だったのです。
時代は移り、達郎さんのまさかの愛車は軽自動車。これは実に面白いですね。
私はず〜っと軽自動車に乗ってきましたから、逆に死ぬまでに一度は高級外車を所有してみたいなんて思う時期もありましたが、ある意味達郎さんと同じで、今は「軽でいいや」、いや「軽がいいや」という状態です。
やっぱり日本独特の環境の中に生れた日本独特の規格の車。
限られた中だからこそ多くの工夫が生まれ、結果として世界孤高の世界を作り出してしまいました。
今、ガソリンが異様に高騰していますし、景気も悪くなかなか消費が伸びない中、車体が安い上に燃費も良い軽自動車が注目されるのは当然であり、ある意味こういう時代のために今までの開発努力があったとも言えるでしょう。
いつも言うとおり、電気自動車には問題が多すぎます。
今年のはじめにもこんな記事を書きました。
結局、様々な条件を考えた時、軽自動車がこれからのメインになる可能性は大いにあると思います(世界的にも)。走行性能の進歩は、ずっと軽自動車に乗ってきた私には信じられないほどです。安全性能も普通車と同等か、それ以上にさえなっています。
そして、なんと言っても達郎さんの言うとおり、狭い日本の中での取り回しの良さ。我がエブリイくんなんて最小回転半径4.1mですよ。めちゃくちゃ小回りくんで、狭い道で一気にUターンしたりすると、周りの人たちに驚かれますね。
というわけで現在、我が家には3台の軽自動車があります。アルト、ワゴンR、エブリイ。アルトとエブリイは貨物車ですので、税金は年間5000円!です。
軽自動車はその他の諸経費も安く、まさにこれからのミニマムな時代にぴったりの自動車ですね。特にスズキの進めているマイルド・ハイブリッドには注目です。廃車や廃バッテリーのことを考えても、結局一番エコなのはそれだと思います。
達郎さんも、きっとそういう意味でも「軽でいいや」な気分になっているのではないでしょうか。
う〜ん、こう来たか!!
やられたなあ。かつてLC10に乗っていた者としては、これは欲しいかも。
大学時代、同じアパートの友人がフロンテSSを買いましてね、アパートの住人みんなでいろいろいじって楽しんでいたんですよ。
私は当時、初代アルト4サイクルに乗っていました。つまり軽自動車新時代がすでに幕開けしておりまして、すでに発売から15年以上経っていたフロンテ360LC10はかなりクラシックな存在でした。
RR2ストローク空冷3気筒エンジン。タコメーターは0〜3500rpmと7500〜8000ppmがイエローゾーン、8000〜10000rpmがレッドゾーンという、今では考えられないレーシングカー並みのピーキーなエンジンでした。
だからこそ操るのが難しく楽しかった。だいたい発進の際、4000回転以上エンジンを回さないと走り出さないわけですから、まあ近所迷惑でしたよ(笑)。
松姫峠越えに挑戦して、しっかりオーバーヒートし、みんなで沢の水を汲んできて急遽「水冷」にしたりしたのも良い思い出です(笑)。
まあ、そんな昭和男性的なLC10とは性格は全く正反対なアルトラパンにLCが帰ってきたわけです。もちろん、それは顔、すなわちフロントグリルのデザインだけですが。
昔のカッコイイが今のカワイイになるというのは面白い文化現象ですよね。日本独特かもしれない。いろいろな分野で見られます。
私もいい歳になって、さすがにフロンテSSのような車に乗りたいかというとやはり否。かといって、ラパンとなるとそれも否。ということで、もしかすると家内が乗るかもしれません。かなり気に入っているようですし。
たしかに内装も含めてよくできていますよ。最近のスズキのデザイン力はなかなか優秀。持ち前の軽量化技術、量産技術と相まって、男女問わず安定した人気を誇っています。いかにも日本的な世界ですから、これからも頑張ってもらいたいところです。
更新が遅れております。今日は6日ですが、ようやく朝の時間が取れましたので、まとめて書きます。
この日は加賀八郎さんの命日。THE GOOD-BYEのベーシストさんです。9年前55歳の若さで亡くなってしまいました。
野村義男さんを中心とするTHE GOOD-BYE、最近その再評価が著しく、再発されたCDの売上げも好調と聞きます。
また、かつてのファンたちはもちろん、一部の若い人たちの中にも、彼らのアーティスティックでハイセンスな楽曲は人気です。
たのきんトリオは私と同世代。私が中3の時、ちょうど3年B組金八先生が放映されていましたからね。
特によっちゃんとは同い年ということもあって、3人の中では最もその音楽、特にギターを聴いてきました。
もちろん、浜崎あゆみのギタリストとしても、その素晴らしい音を繰り返し聴きました。
そのTHE GOOD-BYEが、30年ぶりに2019年に製作したアルバムがこちらです。
これがですねえ、私にはドツボだったのですよ。
ビートルズを核とするブリティッシュ・パワー・ポップが大好きな私には本当にたまりません。これほどアルバム全体を通してカラフルなポップ性を堪能できたのは、ELO以来ではないでしょうか。
最初に聴いた時の感覚は、まさにELOの新作を聴いた時と同じワクワクでした。
まあ、それもそのはず、THE GOOD-BYEのブレーンは、日本のジェフ・リン(と私は思っている)、ビートルズ・フリークの川原伸司さん。平井夏美、羽佐間健二、Paul Wilson とも称して名曲を生み出してくれている天才音楽プロデューサー・作曲家ですね。代表作は松田聖子さんの「瑠璃色の地球」。
このアルバムも川原さんがプロデュースしています。ですから、ビートルズ味も随所に感じられますし、派生的というか系統的にフジファブリック的な瞬間もあったりして実に楽しい。
野村さん、曽我さん、衛藤さんのその演奏、コーラスワークもお見事。細部に注目しているといろいろ発見があり、何度聴いても飽きません。
ぜひ皆さんもこの隠れた名盤をご堪能ください。
フリードリヒ大王おかかえのテオルボ奏者だったバロンは、その著書「リュート―神々の楽器―」は有名ですが、なかなかその曲を聴く機会がありませんでした。
最近になって、その作品が演奏され録音されはじめました。この録音もなかなかいいですね。
リュートが独奏楽器になり、リコーダー、フルート、オーボエ、チェロらと肩を並べるというだけでも、かなり珍しいことですが、その魅力を見事に発揮している佳作だと思います。
純粋にいい曲が多いですね。作曲家としてのセンスもかなりよい。ソロの作品も美しいですね。バロンはヴァイスの教えを受けていますので、基本的に師匠の作品をベースにしていますが、リュート時代も終わろうかという時代に、その可能性の集大成的な作品を書いていると感じます。
バロック期が終わり、モーツァルトらの古典派が台頭してくるということ、それはすなわち音楽が宮廷から劇場(大衆)へと解放されていく過程であり、ごく内的、個人的で繊細すぎる楽器たちは急速に消えてゆきました。
しかし、たとえばリュートの音楽的な可能性は、のちのギター作品群に受け継がれていくことになります。このバロンや師匠ヴァイスのソロ作品には、どこか現代のヒーリング系アコースティック・ギターの世界に通ずるものがありますよね。
静岡から山梨に戻る車の中で聴きまして、運転しながら思わず膝を打ってしまいました。
そう、これって最近私がいろいろなところで語っているところです。
こうして若い人たち、それもいわゆる言語的、論理的な頭の良い人たちが、ある意味自己否定的に問題提起するのは素晴らしい。
ワタクシのモノ・コト論的に言いますと、いわばコト的な頭の良さだけではなく、モノ的な頭の良さがようやく再評価されてきているということです。
最近私は言語、中でも文字に対する不信感を訴え、結果として古代日本のような無文字社会の優位性について語ることが多い。あるいは絵画、多くの音楽のように言語によらない芸術の価値、また言語をあえて混乱させた無意味性について考えることも多い。
ようやくですよ。近代が終わろうとしているわけです。近代の洗脳から解放された若者たちが生まれてきたのは大きい。
ここで否定されるべきなのは、やはり「学校」でしょう。学校、近代教育こそが、知性の意味を矮小化してしまった。この動画でも語られているように、スポーツをしたり楽器を演奏したり、つまり体を動かすのも「脳」ですから、「頭の良さ」は言語・論理、いわばお勉強だけではないはずです。
そして、直観や社交性もまた「頭の良さ」の基準となってもいい。そうすると、おそらくどんな人たちもそれぞれの「頭の良さ」を持っているはずであり、現代日本のような偏った基準によるカーストなど意味がないことがわかるはずです。
もちろん「知性」の「知」が、「知識」すなわち過去の情報の記録を意味することも確かですが、そういう狭義の「知性」の時代は終りつつあるとも言えましょう
狭義の「知性」において、かなり強いコンプレックスを持ってきたワタクシとしては、やっと自分の時代が来たのだとも感じます。未来の情報の直観に関しては自信がありますので。
私が陰謀論を批判すると、お前こそ陰謀論者ではないかと言われます。たしかにそうです(笑)。
ただ、私のいう「陰謀」はまさに「陰」で行われており、ほとんど情報として目に触れることができません。
逆にいわゆる「陰謀論」は、特にネットにおいてはほとんど無限に再生産されており、そういう意味では全く「陰」ではなく「陽なた」的存在です。
つまり、「○○の陰謀」などと巷間語られる陰謀は、陰謀などではなく陽謀ということであり、それがなかなか消えないということは、一つには「そんなものない」可能性があり、また一つには「一般的な政策や企業の経営方針と同じ」次元のことである可能性があるわけです。
おそらくその両方が入り組んでいるのが、「みんなが知っている」「ブームになっている」という自己矛盾を抱える「陰謀論」なのでしょう。
では、なぜこんなに陰謀論が流行るかというと、もう説明する必要もないでしょうが、現代人はさまざまなメディアに触れる機会があり、現実社会とフィクションの区別ができなくなっているということでしょう。
かつての「物語」はあくまでも「物語」であって、その存在価値は大きかったとはいえ、あくまで「生きる」「死なない」ための現実生活からは絶妙に遊離した存在でした(信仰も含めて)。
今、人類はある意味豊かになり、ある意味生命の維持が保証されるようになったため、現実生活の方が物語に近づいていっているのです。
そして、そこに生じるのは、なんと「生命維持の危機」への願望なのです。このグローバルな情報社会においては、その願望は目に見えない敵の想定という形で実現されます。
いわゆる「意識高い系」の人たちは、ネットのクソ情報を閲覧しまくることをもって「自分は勉強している」と勘違いします。そして、皮肉なことにより原始的、無知的な「勧善懲悪」説に陥っていきます。そして、もちろん、自分を「善」の側に立つヒーロー、ヒロインに位置づける。
そして、この世界を「賢い善」と「賢い悪」、そして「愚かな無知」とに分断し、「不安」「危機感」という「安心」を得ているのです。
こうした分断を生む「愚かな陰謀論」こそ、「賢い悪」の「陰謀」なのかもしれないと、一歩進んだことを言う人も現れてきますが、前提自体が「愚か」なので、全く的を射ていませんね。
そんなに世の中、人間、宇宙は単純ではないのです。
多くの伝統的宗教も、世を「善」「悪」「愚」に分断して(単純化して)成立、発展してきました。そういう意味では、現代の「陰謀論」は宗教の無力化から生まれた新しい宗教とも言えましょう。
すなわち、私が言いたいことは、「分かりやすいものには気をつけろ」ということです。それに騙されるのは、不本意にも「愚」そのものですからね。
私の周囲に見える「陰謀論」たちは、すべて分かりやすすぎます。マンガやアニメの方がずっと複雑で本質的なくらい。
というわけで、そういう「愚」がどのように発生して蔓延するかを、あえて「賢」の立場から(あるいは「賢」のふりをして)冷静に(あるいは冷静なふりをして)批判的に論じているのが、この特集であります。
インターネットの動画ばかり見ている人たちは、こういう重い本は読まないでしょうから、この本がワクチンにはなりえないでしょう。あるいは、それこそ反ワクチン的に、こうした「賢」的世界は攻撃対象にすらなるかもしれませんね。
困ったものです。
Amazon 現代思想2021年5月号 特集=「陰謀論」の時代